されど、去年の雪、いまいずこ

 ふるさともそうであるけれど、想い出は遠きにありて思うもの、だね。

青春のひととき。はかない憧憬、交差する人びと。

深く印象が刻まれても二度と巡り合うことはない。

 10代の友人や同級生たちには、なんともいえぬ新鮮さ、たとえて言えば、咲き始める蕾みたいな新鮮さがあって、同じ年ごろの自分をうっとりさせたものだ。

 「風立ちぬ、いざ生きめやも」とつぶやいていた人もその一人だった。

 内気でさわやかな美少女であった彼女の好きな詩句。そこに託された想いには永遠性がたゆたう。少なくとも自分にはそう感じられる。

 数回の出会いと微かな視線の交差がその証しであった。

同世代的な情感の交流というのももはや呼び戻せない。

だからこそ、貴重な記憶だ。

 

 

 

 

 

 そうそう、 似たフィーリングは昔読んだ日本的な幼少期の自伝や教養小説を再読すると再生可能だ。

 

 

 旧制中学に進学した洪作少年が沼津の海岸での先輩たちとの遭遇も伊豆半島で育った主人公にはけざやかな瞬間だった。いまだ知れぬ精神の沃野が拓ける、そうした一瞬というのが青春期は訪れる。

 新鮮なる未知とのエンカウンター。それを記憶している人は幸いあることよ。