この句は名古屋の商人にして俳人、坪井杜国の句だ。この一句が記憶によみがえる理由は一つ。
芸が命を救ったからだ。杜国は名古屋市内の御園座近辺で米商いを担った豪商の一人らしい。
ご法度(はっと)とされていた空米売買の科で死罪のところ、徳川光友がそれを聞いて近臣に質した。
以下、露伴からの引用だ。
彼かつて蓬莱の句をつくてるものかと。
曰く、「蓬莱や御国の飾檜山」と。句意、歳首に際して終わりを祝捷するなり。
公たまたまこれを記せるをもつて問有るなり。
近臣曰く、しかりと。
公すなわち命じて死一等を赦し、三河に流す。
本エピソードはなにも芭蕉の盟友であり、あの『冬の日』で芭蕉とごする名吟を残した人物だから心に残るというわけではない。名古屋の連歌衆との丁々発止の五七五の金字塔が『冬の日』であった。連歌衆で異彩を放つ杜国がいたのだ。その二年後に事件が起きた。
江戸時代、武士の頭領たる尾張徳川家の藩主が一商人の俳句を愛で、その句のあるをもって罪を許したというその騎士道精神、いや、花も実もある武士道精神を感じるのだ。
士農工商の封建制度の時代の和みある一挿話だと。
【参考書】
古今東西の蔵書を博捜しえた幸田露伴の名随筆「白芥子句考」で杜国と芭蕉の芸術を余すところ無く語っている。その露伴翁も杜国の職業とその事件は調べ得なかったとみえる。金細工関係だとしている。
- 作者: 幸田露伴,寺田透
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1993/06/16
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杜国にはこのMashupを呈する。