伏見稲荷で考えたいのは朱のこと

 狛犬にかわってこの神社では門前に狐がたつ。よほど動物が好きな民族なのだろうか。稲穂を加えている。
 先には豊川稲荷に参詣したその勢いで、今回は伏見にやってきたのだ。
 伏見稲荷に詣でて感じたのは、やはり鳥居を沈殿物に化かしたその思いだ。
 千本の鳥居という隧道もどきは壮観である。

 外国人観光客が物珍しげに見物にくるのも分からないではない。
企業も商店も人も喜び勇んで朱塗りの鳥居を寄進する、この奇習は現代文明からハズレたものだ。鉄道の駅はそのためにあり、門前市をなし、山全体を鳥居の隧道が駆け巡る。奇観だ。
 朱の起源ははるか縄文時代にあるという。自然にあってこの朱色は殊の外、自己主張しない鮮烈さをもって脳裏に焼き付く。朱は夜明けの色だし、下着の色だし、生命の色であり、その色調は日の丸にも連なってゆく。
 そうだ、『古代の朱』を読みなおしてみよう。

 
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古代の朱 (ちくま学芸文庫)

古代の朱 (ちくま学芸文庫)