『夏草冬濤』の金枝、木部、郁子のモデル

 井上靖の秀作『夏草冬濤』で描かれた早熟な文学不良少年たち。主人公の洪作が「きらきら」としたものを感じた人物像には、今でも色褪せない魅力がある。
 高校時代を思い起こせば、クラスメートはそれぞれの個性が芽生え、早熟な友は未知の人生の魅力をまといつけていた。どの友も一人ひとりが、輝いている感じがした。それも日々、異なる輝きを発していた。
 それを『夏草冬濤』という青春小説で追体験できる。この小説の特徴は個性が躍動する青年たちの会話にあるといっていい。その輝かしさは十代特有のフィーリングだった。

 ここで書き留めておきたい。
 『夏草冬濤』の魅力的な上級生たち、そのそれぞれに実在のモデルがいたし、つい最近まで存命だったのだ。
http://ekibento.jp/izubun-natsugusa.htm

 藤井寿雄、岐部豪治、露木豊、金井廣というのが実名である。幾人かは戦争で無くなっているのであろう。
金枝は医師となり90歳まで長らえた。小説世界の人物が伊豆にいたわけだ。
岐部豪治は木部。木部は小柄なスポーツマンで歌を詠むという個性が光る。
いずれも海外文学や和歌に入れ込みながら徒党を組んでフラフラする。部活やガリ勉とは別の行き方を楽しむ、青春の特権を謳歌しているのだ。青春の特権とはタガにはまらぬ自由さと伸びゆく個性、それに身体感覚の新鮮さだろう。

 また、郁子というお寺の娘にもどうやらそのモデルがいたということだ。小説に描かれたような健康で溌剌な娘が戦前にもいたことを知る。今井幸は昭和60年に無くなっている。
その寺が妙覚寺だということもわかっている。沼津港ちかくの禅宗のテラだ。今となってもありふれた街なかの寺でしかない。洪作と郁子が溌剌とした会話をした場所と想像して訪れれば、輝かしさを帯びて現れることは間違いない。
 ここに数年間、洪作は下宿して、その青春期を満喫したのだ。

 明るく温暖な駿河湾に面した地方都市における、大正期の青春の鮮明な記憶が『夏草冬濤』に刻印されているのだ。後代に生きる我らも自らの青春の追想を重ね合わせながら、それを幾度も追体験できる。


夏草冬濤 (上) (新潮文庫)

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