メンタルQOLと「赤毛のアン」

 死ぬよ死ぬよとガンを告知されて抗癌剤を飲み飲み不安に生きるというのは、現代日本人の高齢者の半分ほどが見舞われる宿命なのだとか。

 とある医療人類学者がレポートするには、つい先ごろまで新潟の田舎では、老人の死ぬ原因は
腹がある日痛くなってコロリと逝くのであったそうだ。
 なんとなく懐かしい光景ではないか。こちらの方が頑固者の好加減な性格のヒトにはメンタルなQOL(生活の質)は明らかにgoodだ。
 予防医学と衛生状態の改善がそうした牧歌的な風景を喪失させた。

 ああ、それにしても、『赤毛のアン』での一場面を思い出す。
養父のマシューが野良帰りの丘でいきなり倒れて、アンの腕のなかで逝くシーンは高度医療嫌いな頑固ものの理想ではないか。

 頑固親父もホロリの赤毛のアン


 町医者の対症療法で十分という選択肢は、これからの超高齢化社会で保険制度や家族への負荷をへらす方法として、再導入されてもいいんじゃないかな。
 つまり、高度医療の方法論的な縮小だ。高度医療の選択の自由があればそれはそれでいい。
抗癌剤を打ちつづけて徹底抗戦もいいだろう。だけど何だかわからんうちに調子悪くなって
数日苦しんで逝くというのもありだと思う。