大昔、まだまだ「ラララ、科学の子」なんて歌が響いていいた時代には、原子力ってのは科学の希望の最たるものだったようだ。
それゆえに、小学校の教科書には「日本のウラン産地」として人形峠が堂々たる扱いだったと思う(本当かいな、ただの勘違いかも)
なものだから、令和時代でポストFukushima事故のイマドキの子は人形峠に行ってみたいとは誰も考えないだろう。
自分はそれでも行ってみたい。
人形峠アトムサイエンス館なる施設もあるようだ。おそらく昭和の薫りをプンプンさせているこだろう!
しかれども、その薫りにホコリやカビが混じっていることも多いのだが...