ドイツの神学者 カール・レフラーについて考える

 東洋英和女学院の院長の事実捏造が2019年5月にちょっとした話題となった。元院長の論文で創造されたドイツの宗教家カール・レフラーについて考えてみたい。『ヴァイマールの聖なる政治的精神』がその問題作だ。
 もちろん、この事件は自分のようなメタフィクション系の小説好きにWAKUWAKU感をもたらしてくれた。老練なる大学教員というプロフェッショナルが生み出した架空の人物の思想は、実在の神学者のそれよりも破格でユニークで心に響くものであるかもしれない。
 興味津々なのが、この空想上の人物が生きたのは20世紀の混迷期のドイツの共和国が舞台のようなのだ。
 あの驚くべきヴァイマール体制のドイツは人文科学と自然科学の壮大な遺産を残した。
 ハイデガーヒルベルトを代表的な人物としてもいいだろう。ナチズムがやがて支配する兆候がただよう異常な時代だった。
 弁証法的神学のカール・バルトがおそらくカール・レフラーの精神的血縁者なのかもしれない。あるいは一世代前の北欧の数学者ミッタグ・レフラーが義理の叔父である可能性もあろう。
 神学者カール・レーフラーの存在しない著書『組織神学の根本問題』で元院長は何を伝えようとしたのだろうか?
何故か、エルンスト・トレルチの名が引用されているが宗教社会学的な研究が組織神学と交差していたのであろうか?
組織神学は既存のキリスト教神学である。「聖書を絶対的基準として、教会の歴史的遺産である信条などを参考にして、聖書において啓示されている真理を体系的に提示し、教会形成と伝道の働きに用いることを目的とする 」とwikiにある。
しかもSNSではトレルチの家計簿も引用されていたりする。学者の家計簿が神学の根本問題になるというのも斬新な視点だ。凝った設定だ。
 ゲシュタポにより断絶したボンヘッファーの精神やプロテスタント神学の革新的なポテンシャルを発見したのではないだろうか?
存在しない著書の偉大なメッセージが時空を超え、日本の末期的大学行政に疲れた元院長の心に届いたのかもしれない。虚ろな人文科学の精神の病いをとおして蘇る。
 創造の病いと木村敏やなら称賛するかもしれない。
 
ちなみに、版元の岩波書店は2019年5月13日に謹告(深井智朗氏『ヴァイマールの聖なる政治的精神』ほかについて)――で絶版を宣言している。そして、アマゾンでは希少本となって高値取引されている。
 洛陽の紙価を高める新たなヴァリエーションだ。
 

ヴァイマールの聖なる政治的精神――ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム