方広寺の鐘

 大阪の陣、つまり豊臣家滅亡のキッカケとなったのは、方広寺の鐘の銘なのだというが、その方広寺とその鐘は残されている。
 不思議なことだ。徳川政権は大阪の陣で豊臣家滅亡後に、この鐘を破却しなかったとは。

 京の都を一望する場所に豊国神社は創建された。



有名な方広寺の鐘であります。なかなかに巨大でありますなあ。

 戦争を呼び起こした銘文が白く塗られている。


 豊国神社は大仏殿の跡地に、明治以降に再建されたという。つまり、王政復古とともに江戸幕府の敵であった太閤秀吉の再評価が起きたというわけだ。



 方広寺は豊国神社のわきに残る。その梵鐘も寺の建物も豊国神社のおまけのように存在するのは、なかなか奇妙なことよ。