安岡正篤(1898年 - 1983年)は日本の国政の重鎮として最後まで隠然たるパワーを持っていた。
佐藤栄作や福田赳夫、中曽根康弘など歴代総理から重要事項の相談を受けることもたびたびであった。本人は陽明学者を自認し、在野の行動的教育者を生涯貫いたともいえる。
実に、安岡正篤は北一輝や大川周明という戦前の国粋主義者の結成した老荘会に加わり、その活動をともにした世代の最後の人である。その人物が1980年まで勢力を有していたわけである。北一輝が帝大二年生の安岡を一本釣りしたという。
金鶏学院がその活動母体であったが、その聴講生には血盟団(暗殺教団である死のう団)のメンバーもいた。
つい数年前までは金鶏学院は存続していたのだが、今では記念館とになっている。これも時代の流れか。安岡の衣鉢を継ぐ人物がいなかったのであろう。