田螺(たにし)の説話

 都会人に成り果てている日本人には、田螺は縁遠くなった生き物である。国内の水田に広く分布する巻き貝である。
 なにゆえか、田螺を題材にした民話が多いのも気になる。「田螺長者」「田螺と狐」「田螺と鳥の歌間答」などがある。

 民話学者たちは、その理由を田螺を神の使いとみなしたからだというが、田螺のような小さな巻き貝のような地味な存在に農民はそれとなく、親近感と畏怖を抱いていたということなのだろう。タニシがタヌシ、つまり、田主に通じることもあろう。水田の精霊である田の神の権化というわけだ。
 カタツムリの方言を扱う柳田国男の『蝸牛考』では田螺はまったく登場しない。

 たにし長者などというお話は、現代人の想像の外にあるような風変わりさだ。

タニシの姿で生まれた申し子が,人並み以上に働き,機智を働かせて美しい嫁を貫い,人間の姿となって長者として栄える話

 どうやって会話したのだろう。どうして嫁をくれてやろうと考えたのか。共同生活できたのか。いずれにせよ、人と巻き貝の大きさの差異は消え失せて、動物と人の境界などというものも無くなるのが民話の想像のなしうることなのか。
 でも、貝類が金持ちになるってどういう発想なのだろうか?

 一寸法師などの「ちいさこ」の流れや粟に弾かれる少彦名命のようなコメツブみたいな神信仰があることと無縁ではないだろうが、田螺が出世するって、なんでだろ〜?

 う〜ん、我らの先祖たちの生き物感覚はずいぶん遠く離れたもんであったんだ。

たにし長者 (日本の民話えほん)

たにし長者 (日本の民話えほん)