小国神社を歩く

 遠州一の宮というと小国(おくに)神社だ。多くの外来の県民にはその名は知られてはいまい。
静岡県掛川駅からローカル線、天竜浜名湖線に乗り継ぎ、30分程度で着く「遠江一宮駅」。そこから、徒歩三十分ほど(自分は神社の定期便バスに運良く乗れた)の場所にある。
 鉄道とバスの公共交通の便から見れば、アクセスし難い土地にある。静岡県も奥まった遠州森地方にある。
 住所でいえば、「静岡県周智郡森町一宮」であるが、周辺には有名な観光地も名所もなにもない。遠江一宮駅無人駅であり、駅前には商店街どころか、一軒の商店すら見かけない。
 唯一、駅ナカには蕎麦屋が営業していて、かなり繁盛はしているようだ。駅前からは典型的な遠州の田園風景が広がっている。過疎というほど寂寥感はなく、明るい太平洋岸の村落という印象を受ける。

 御祭神は大巳貴命(おおなむちのみこと)で西暦555年に開かれたとされる。六世紀なかばだ。律令制の前の古代豪族による合議制として大和朝廷が緩やかな統治をしていた時代だ。
 背後の杜はなかなかに壮観である。この森林の深さは京都などの神社にはありえない。そもそも、奥宮はさらに森の先の本宮山にある。今回は行けなかったが、奥磐戸神社がある。 小国神社はかつては事任神社といったとされる。

 小国神社とおとなり三河の砥鹿神社はよく似ている。本宮山という奥宮があることや古代の地方豪族の系列であること、現代にあってはその地方で尊崇を集めてることや、公共交通から隔離されて鎮守の森と共生していることなどもそうだ。地元民だけが甲斐甲斐しく守っている風情がある。


 大鳥居のそばには、伊勢神宮おかげ横丁を真似た商店街、商店街というにはあまりに慎ましやかなものだ。ほんの5−6軒の店が軒を連ねているのが、微笑ましい。「小国ことまち横丁」というらしい。普通の日曜日だというのに家族連れで賑わっている。遠来の客は自分だけであろう。




 この写真はかつては起立していたのであろう神木である。しめ縄飾りをめぐらした巨木のむくろが参道脇にある。かつては威厳のあるご神木であったのだろう。参拝者が賽銭をはりつけていた。


 仏文学者のポール・クローデルは日本人の樹木への思いやりの深さに西洋文明との大きな違いを感じたものだが、巨木の「亡きがら」を敬う姿勢というのもその延長上にあるのだろう。