日本でハンカチーフが市民に浸透した頃合いはいつになるのあろうか?
文学的な記録から辿ろう。
宮本百合子は昭和初期から活躍したプロレタリアート側の文学者であるが、その名も『デスデモーナのハンカチーフ』でハンカチーフを主題とした小編を書いた。
オセロの悲劇は美しくやさしいオセロの妻デスデモーナが、女として一枚のハンカチーフをどう扱ったかというところにかかっている。
『ワルシャワのメーデー』という紀行文でもハンカチーフがきっかけになる場面がある。
だが、わたしはどんな駐在武官の細君でもない。思いがけないおついしょうにびっくりして、手にもっていた小さいハンカチーフを絨毯の上へ落した。すると、お菓子のような将校は、いとも優雅にそのハンカチーフを拾って――どうぞ――とフランス語で云いながら渡してくれた。
ハンカチーフは女性の武器の一つだったのだろう。泣いてみせたり、笑いをこらえたりして、取り落としたりして自分を演出する小道具だったのだ。
『母』より、
母の臨終の床でも私はあまり泣かなかったし、それからいろいろの儀式のうちに礼装をした父が白いハンカチーフをとり出して洟をかむときも、
『モスクワ印象記』より、
私は自分の内攻的ヒステリーを少し整理して、田舎者のハンカチーフのような青格子縞のテーブル掛の上で考える。
作者はついにはハンカチーフを性格を自省するための舞台にしつらえてしまう。
次は、戦後の一時期を駆け抜けた女流作家の久坂葉子『灰色の記憶』からだ。
彼女の家へ遊びに行った折、私のあげたハンカチーフが、しわくちゃになって屑箱にほうりこまれてあるのを発見した。私は瞬間、非常に悲しい気持になったけれど、決して彼女を恨みもせず、それが必然的なように思えて自然彼女から遠のいてしまった
実のところ、ハンカチーフを取り出す女流作家はそれほど多くない。むしろ、菊池寛や海野十三や岡本綺堂などの娯楽的文士がハンカチーフを男性にもたせたケースが多いのだ。
漱石や露伴、鴎外にはハンカチーフは登場しない。
他方、ハンカチは文士たちの愛用度合いは高めになる(同じものだが)
岡本かの子や林芙美子は「ハンカチ」派である。
岡本かの子の『伯林の降誕祭』では贈り物になる。
私はお返しが上げ度くも気がせいて、手近に有合せの日本から持って行ったものを、一つかみにしてあとを追いました――猫の毛でつくった日本の細筆三本、五色のつまみ細工の小箱一つ、桜の縫いのしてあるハンカチ一枚――あとで考えても、おかしな贈物でした。
林芙美子の『或る女』では「鏡の前に立つて、まるで良人か子供を失つた女のやうに、黒い紋服のたか子は、ハンカチを頬にあててさめざめと泣く」のだ。
『恋愛の微醺』では男性からの贈り物としてハンカチが語られる。
すると、いままで良人の蔭で目をつぶっていたような気持ちが、急に生々とたちあがって羅紗の匂いの新らしい背広姿に好意を持ったり、襟足の美しさや、時には、よその男のもっている純白なハンカチの色にさえ動悸のするような一瞬があるのだ。
実際、その用例は男性作家に多いのだ。太宰治や芥川龍之介などにある。
柏木博によれば1960年まではアメリカではハンカチが生き残っていたが、やがてペーパータオルに置き換わったという。日本ではそういうことにならなかったが。
たかが布切れなのであるが、ハンカチという小物が語る生活の変遷というものかなり奥が深い。
- 作者: 柏木博
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