金がからめばアマチュア・スポーツは転落するという一例

 アメリカにスポーツ・フィッシングという趣味の分野があった。純粋に釣れたクロマグロの大きさを競うだけだ。巨大魚を力と根気で勝ち取る腕自慢を競うだけのアメリカンチックな単純=simpleなスポーツであった。
 それを食べるわけでもないのは、なんだか罪な感じだがそれはここでの問題ではない。
 問題は、日本のマグロ市場だ。その漁獲物をスポーツフィッシャーマンから買い集めて、日本まで出荷する産業が起こった。その結果、スポーツフィッシャーマンはプロのフィッシャーマンに堕落した。血眼でクロマグロを追いかける「趣味」の職業に成り果てたのだ。生きのいい巨大クロマグロ一匹で車が一台買えるのだから無理もない。

事態を複雑にしているのはスポーツ産業の生産形態だ。ナイキやアディダス、アンブロのサッカーボールは第三世界の子ども労働で作り出されている。子どもの長時間労働と低賃金でこれらの企業はプロスポーツ業界に多大な宣伝費を投じることができる(しかし、その悪辣な工場すらなかったら、子どもたちはどうすればいいかという問題が残留するのを忘れてはならない)

 どんなスポーツも金により堕落する。金で勝敗を釣るようになれば趣味(アマチュア)のスポーツマンはプロの職業に転落する。近くは「Five Rings」だ。
 別に根拠があるわけではないので、聞き流してもらいたい。

スポーツで読むアジア (SEKAISHISO SEMINAR)

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