民俗学の思考的制約

 柳田にしても折口信夫にしてもその民俗学が目指す方向は「神と魂の行方」であったと思う。そのいます所を常民からか、古代人から見究めるのが晩年の両氏の行き着いたところであったようだ。
 なにしろ太平洋戦争の敗戦という時代に彼らはその晩年を迎えたということもある。
 民俗学はそれに規定されてしまった。つまりは、信仰というものに生活を結び付けないと本来の民俗研究といえないような、そんな空気がある。
 それはそれで重要なのだろうけれど大きな思考的制約ではないだろうか?
「母の手まり歌」などで子どもの遊びとか言葉などに昔の風習を探り出してゆく、「木綿以前のこと」で俳句から近代前の衣食住を探り当てる、そういう細部への目配りは民俗学の「強み」であったわけだ。
 だが、それが生活誌でとどまる限りは学問的な発展がない。早晩、ねたもつきようというものだ。
 時代制約のせいもあり「神と魂の行方」という信仰めいた方向にしか活路がなかったのかもしれない。