20世紀前半というのは科学も芸術も沸騰していた。
現代詩で見てみることにする。
現代詩とは20世紀初頭の詩のことだ。
スペイン風邪で亡くなったアポリネールがいた。第一世界大戦の惨禍を生き延びたものの病に倒れたこの詩人の放埒な言語の戯れは未来派を圧倒した。
ロシア革命の狂乱を青春にしたマヤコフスキーは革命の火花とともに才幹の煌めきを放った。『ミステリアブック』はその新星の伝説をロシアに刻み続けている。
ガルシア・ロルカはやはり激動のスペインの動乱で短い生涯をスパークさせた。ジプシー詩集や悲劇はその生命の輝きを今に伝える。スペイン最大の詩人を全体主義者は拳銃の一撃で奪い去った。
エリオットは現代文明に鋭い斬り込みを畳み掛けた。『荒地』は日本詩壇にも同時代的に共鳴した。
さてさて、21世紀になりこうした衝動力のある言葉の芸術家たちはどこに行ってしまったのか?
才あるものに詩など振り向くものさえいないのは、現代文明の芸術的な衰弱が瀰漫したことを示唆するのだろうか。
ネットの世界ではどこを向いてもライフハックとジョイフルライフにしか関心がないかのようだ。大きな変動の20世紀に比較して、喪失した部分があまりに大きいのではないかろうか。
- 作者: C.M.バウラ,大熊栄
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1981/01
- メディア: 単行本
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