古墳を作れる社会と職業のアルケオロジー

 この狭い国土には70万以上の古墳が点在する。古墳時代といわれる弥生後期のことをしばし沈思してみる。
 地方には国の主というべき一族が勢力を持っていた。100m以上の規模の巨大古墳を残す場所は開けた平野にあり、古墳は水源から遠からぬ場所にあることが多い。
 古墳という地図に残る仕事ができるためには、大量の労力を動員しなければならないが、そのためには食料備蓄をその一族が所有することが前提となろう。
 その用途にあてがう食料を平野部の稲作がもたらしたことは確かなことであろう。
 労働力を一定期間確保するために備蓄を適切に労働対価として配分する、そういう組織化がなぜ可能になったかを問う必要がある。
 それは「記録」が可能になったためであろう。発見されてはいないが、古墳という巨大な建造物をつくり上げるためには、しかも、特定の一族のために被支配者が労働力を供給するためには、「記録」とそのための記号がすでにあったのではあるまいか?
 神代文字などではない。食料の記録、穀物の収奪と備蓄と労働対価としての配分を統制する能力が古墳の企画者には具備されなければなるまい。また、古墳という型を概念として提示して労働者に指示する技術者という存在が不可欠なのだ。
 石室や玄道などの造作物はやはり統制のとれた指示命令系統があったしるしだと思う。
 つまりは、書記と土木技術者が職業的に存在したと考えても良いだろう。この両職業者は、平時に税としての食料の徴収と治水や港湾などの技能を権力階級に提供していたと思われる。