今和次郎の秩父

 今和次郎は大正十一年7月に秩父市浦山地区の集落である「冠岩」を訪問している。集落の民とその住まいや暮らしぶりを採集するためである。今から百年ほどまえだ。
 当時は6件の民家と30人ほどの住民がいた。

 この部落の布置せられている居処の地形は、南面して傾斜したすり鉢の一部のようなところで、その基底部に集団状をなして家々が建てられているが、宅地の部分は石垣で補われて各戸が段々になっている

 その調査結果は『日本の民家』を参照いただくとして、現在の有り様は下記の「廃墟」のルポで知ることが出来る。写真にもあるその「石垣」だけは生存した記憶をとどめている。

http://hya34.sakura.ne.jp/titibu/sannkannnousounn/urayamafuudoki2.html

http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/11.Saitama/Chichibu_Kanmuriiwa.html

探せば、今の資料にある「共有井戸」(基底部に一つだけあった)とカラ臼が見つかるだろう。そこで集落の女性たちが炊事洗濯をしていたのだ。

 なにか時の流れがその住民を抹殺したような空虚感を与える。

日本の民家 (岩波文庫)

日本の民家 (岩波文庫)

 考現学を始める前の作品。ひたすら庶民の生活空間を克明に記憶しようとしている貴重な記録。

 マニアに有名な白岩という廃墟の近くに冠岩がある。
 GoogleMapでは周辺しか特定できない

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