ベリリュー島の戦いとパラオ共和国

 硫黄島の戦いに隠れてしまい、その激闘ぶりが十分に伝承されていないのがべリュリュー島の戦いであります。この南洋上の孤島でじつに陸海軍 約13000名のほとんどが玉砕している。
 これに対して、海空をすべて抑える圧倒的な火力を備えていた米軍は総員 5万名。戦死 1,794名 負傷 8,010名である。当初「こんな小さい島(南北9km、東西3km)の戦闘は数日で決着」としていたが、実質的に占領まで2ヶ月半経過している。
十分すぎる艦砲射撃と空爆で地表の構築物は一掃されたが、海兵隊の上陸後に手痛い反撃を食らったのですな。
 硫黄島の前哨戦というのはこの島の守備が洞窟陣地による持久戦を行ったからであります。それともう一つの美談とされるのは、島民の犠牲者がほとんどいなかったことです。
 これは、サイパン沖縄戦とは違いますなあ。
というわけで、戦前の日本統治下であった南洋諸島でもある。今日、ここにはペリリュー神社なるものが鎮座している。
その設立にはどうも行き違いがあったようだが、島民の対日感情は悪くはない。
 それは何と言っても国旗に示されている!

 詳しくは「NPO南洋文化交流協会」を参照いただきたい。

 ちなみに、というかここでようやく、ニミッツ提督が出てくる。べリュリュー島の戦いぶりに感銘を受けたとされる太平洋戦争当時の海軍提督であるが、彼が占領下日本における「戦艦三笠」の修復に意を用いたことはよく知られている。
 このアメリカ軍人は東郷平八郎をこよなく軍人として尊敬していたのだ。
 別にそれはそれでいいのだが、東郷平八郎の忘れてはならない功績としては、ハワイ王国-カラカウア王朝-の1893年の危機に際し、暴徒と化したアメリカ人の横暴に無言の圧力をかけたということは褒められていい。戦艦金剛により米国艦ボストンに横付けして牽制を加えたのだ。それも虚しくハワイは米国に乗っ取られてしまうのだが。


 米国側の記録をメインに紹介しよう。

 「べリュリュー島の戦い」についてはUS ARMY&NAVY等が作成したドキュメンタリー映画



 数少ない生き残り兵士によるドキュメント。渋谷の大盛堂書店の創業者だ。
詳細な洞窟陣地の地図もある。一糸乱れず、よく死地で戦ったものだ。脱帽!

血風ペリリュー島―この闘魂を見よ!

血風ペリリュー島―この闘魂を見よ!



 同様に従軍者の客観的な記録
 

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)

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