文化人類学の退行と老賢人の代行者、柳田国男

 個人的感想でしかないけれど文化人類学は、少なくとも日本に限っては民俗学に敗れ去った。
つまり、その教養なりセンスなりが国民に根付かなかったし、文化的貢献においては民俗学に対して著しく色褪せて見える。精神的遺産となりうるものも彼我に隔絶の感がある。
 ルース・ベネディクトの『菊と刀』と柳田国男の『遠野物語』を比べてみれば、その意味合いが分かる。
ベネディクトの日本人論は一つの類型なので忘れ去られぬようにしばしば言及はされるけれど、なんの余波(継続研究)もない。孤島なのだよ。
 それに対して、『遠野物語』はその残響がすみずみまでこだましている。その研究書は汗牛充棟、遠野地方の街興しにもなっているのだから。*1

 ましてや日本人がものした文化人類学本になると専門的研究は別として、一般人の国民に響くものがどれほどあるか。河童の石田英一郎と道化の山口昌男の書籍がほそぼそと残るだけではいだろうか。
 柳田国男折口信夫の文庫本の種類と比較すれば、(この比較指標が恣意的であるけれど)文庫本は民俗学ものが圧倒している。
 柳田翁の「山の人生」ひとつと比較しても、海外の文化人類学の類書は殆ど無いのだ。かつて石田英一郎は柳田門下の閉鎖性への不信を投げつけた。自分の専攻する文化人類学の優越性が背後にあっただろう。その後、柳田は民俗学研究所を閉鎖した。今日までの成果として、それほど日本の文化人類学は高く飛翔することはなかった。傍目からは欧米由来の時事ネタに振り回されてきただけに思えてしまう。

 それはともかく、身の回りに賢い老人が姿を消しつつあるのに、諸兄は気がつかれたろうか?
人生の叡智と先祖の伝承をあわせもつ人びとという存在は、ほとんど消え去っているのではないだろうか。
 なるほどプロジェクトX(エックス)や戦争の記憶を伝える老人たちは、いる。
 そうした人びとは一極集中の過去の遺物(ある特異な体験の語り部)という表現がふさわしいと言えば、それは誤りであろうけれど、賢人という風格ではないように思うのだ。
 どうやら、世界大戦と戦後の経済成長で日本人はもみくちゃにされて、その間に貴重な精神の連鎖が切れてるような感じなのだ。

 そうした役割を担うはずの日本の宗教家や思想家もなんとなしに頼りない。年取って活躍してる知識人はいる。大勢いすぎるくらいだ。しかし、それらの人びとは若ものと同じことを賢げに語るだけだ。賢者の風格というのではない。山口昌男がいい例だろう。いつまでも若やいだ発言と業績が顕著だった。
 古層に分け入るでもなく渋みのある警句を吐くでもなく、いぶし銀の発言があるわけでもない。饒舌なだけの老人がメディアを占拠している感がある。

 いつの間にか野の賢者のような凛とした老人はいなくなってしまったのだ。
そういうわけで、その賢者の知恵の残照は民俗学の著作のなかにしか残存していないようなのだ。
 柳田国男は老賢人の役割代行を担うことになってしまった。なんというか皮肉な結果ではある。

*1:しかも、没後50年経ち、青空文庫でどこでも読めるようになった。