福島原発事故は日本だけでなく世界に衝撃を与えた。その代償を払うのが東電本体が主体となるのは言うまでもない。だが、一つ疑問がどうしてもつきまとう。
経営権がない一般従業員がひたすら負債と負荷を担うことだ。彼らは直接に、事故原因に関与したか?
そうではあるまい。
今までのような東電社員特典で個人の電気料金が無料になるとか、ボーナスが十ヶ月以上とかそんな特典は無くして当然。それを、福島県の被害者救済に充てるべきであろうが、それ以上の大きな負荷を負わせる前に、もう一度責任の所在を考えるべきだろう。
それは、過去の東電経営者の責任だ。
福島原発事故に関する諸情報や報道を総合すると過去の経営判断、ハイレベルなマネジメントで大きなミステークを犯していると考えざるを得ない。
具体的に書いてみる。
1)GEの初期型原子炉マークワンをそのまま日本で使い、地震大国であり津波がくるという特性を安全対策に盛り込む努力が、まったく欠如していたこと。
福島第一原発はマークワンそのまんまなのだ。大地震がないアメリカの設計がそのままなのだ。ありえない。
これは安全設計の大原則を踏みにじるものだと指摘できる。
2)スイスなど他国では対策済みの電源喪失に対する認識が欠如していたのは、なんのせいか?
それは経営者の慢心のせいだろう。安全神話を自ら築きあげて、そのまま放置していた。国民の税金を使って原子炉周辺へのバラマキや折々の説明会での強弁が、安全神話を肥大させていったのだろう。
原子炉の安全性を管轄すべき政府機関にも(天下り)人材と資金を投入して自画自賛のノーチェック体制を作り上げた自己欺瞞も含まれる。
この経営の慢心の罪は贖われるべきだ。だが、その贖罪は現場の職員ではなく、過去の経営陣がなすべき行為であろう。
3)自然エネルギー政策への足かせを経産省と結託してつくりあげた。1%としか自然エネルギーのシェア目標にしなかった。
社会のためにどうしたらベストかという意識はなく、自己の権益を守るという欲得づくのエネルギー政策決定となった。K元会長の圧力や役員の差し金がないなどと開き直ることは出来まい。
複数の情報源からの判断で、以上の3点の経営者の関与が問題視されるべきだ。
別にこれは個人的な偏見ではない。その証拠に、安全設計の権威ナンシー・レブソンは指摘する
経営者による安全への関与は、おそらく、安全の達成に最も重要な要素である
東電経営陣の自己欺瞞が惨事を招いたのだ。しかし、残念ながら、法的に彼らを縛ることはできない。
ただ、道義的にこう言える。
ちょっとでも倫理的な気持ちがあれば、生活が困窮する地元民や、なかんずく茨の道を歩む東電の現従業員に、退職金を還元すべきであろう。
官僚の天下り役員を含め旧経営陣が何億円もの退職金を得て知ら顔の半兵衛を決め込むのは、どうみてもまともな神経ではないし、廉恥心がない行為であるう。
よもやそんな人物はいないと自分は信じたい。
自分らの傲慢さと無為無策から一般市民や自社の社員が苦しんでいるのだから。
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【追記】地元住民に対する政府の責任はある。彼らの生活を補償するのは東電ばかりでなく、国の責任でもあろう。だが、これも現政府だけにツケを払わせるのは片手落ちだと考えられる。
自民党政権が原発推進を担ってきたのだし、安全面の管理体制も彼らが構築したのだから。
関連する官僚も現職官僚は住民の補償をしっかり遂行することに責務がありはするが、過去の管理責任の甘さは現職だけではなく、それに過去関与した局長クラスの人間の退職者を対象とすべきだろう。
安閑として天下りをしている関与者にもしっかり責任を追求して支援するように要請すべきだ。もしくは道義的責任を果すことを期待する。