韓国製造業の光と影

 日本の家電メーカーが軒並み大赤字で、国内を震駭させたのに対して、韓国のサムスンLG電子などの進撃ぶりを見習えと声が上がったのは、まあ、当然の成り行きだろう。
 確かに家電製品はモジュール化が進み、商品企画さえ優れていればどこでも生産できるようになったのも追い風であるには違いない。
 韓国のハイテクメーカの躍進ぶりは賞賛に値する。
 が、大きな社会問題を胚胎しながらの勝利ということは、ヤッカミ半分のニュースが報じてもいる。
勝ち組と負け組がはっきりしていることや若者失業率は日本以上であること。さらに、一部の大企業の売上増の足場にされた無数の中小企業の喘ぎというのは、かなり知れらている。

 Kポップの世界的流行、韓流ドラマの席巻や成田や関空を押しのけた仁川空港のハブ化なども報じられていて、スゴイというべきだろうろが、どうも不安定さが感じられてならないのは自分だけであろうか?

 端的にいえば、選択と集中という戦略と短期的な業績追求という二点が、韓国の経済的繁栄のもとだと思う。

 先日、後者に関して韓国通のコンサルタントのハナシを聞いた。

 韓流ビジネスマンは30までに部長にならなければ、肩たたきとなる。よって短期的な目標達成に全力を上げるのだという。その貪欲さは日本にはないものだ。

 そんな実情を聞き知るにつけ韓国の文化的な気質が現在の彼らを支配しているのを痛感した。
伝統的に「職人」を軽視するのが彼らのマインドに埋め込まれている。ヤンパンは手を動かすことを嫌った。朝鮮実学の歴史というのはどうも江戸蘭学などに比べて、底辺が浅いのだ。

 つまり、丹念に一つの技を磨き上げるという気質が朝鮮の伝統的な教養主義には存在ない。それがそのまま韓流一流メーカの弱点なのだろう。商社的なマインドならば猛烈商魂で業績をだしてゆけよう。だが、ものづくりはそうではない。
 戦前に朝鮮半島で考古学を教えていた日本人が、地元の人間は土掘りを蔑んで弟子ができなかったと語ったのも軌を一にしている。
 それに加えて短期的な成果の追求だ。

 韓流メーカは、したがって、重要な部品や素材を日本から輸入するしかないのだ。日本の中小メーカから部品をウォン安で、購入するしかないのだ。

 職人魂や敗者復活を軽視するというのは国力を削ぐということを、深く感じさせられた次第であります。