将門首塚をめぐって

 ビジネス街の大手町のさ中に眠る「将門首塚」は21世紀東京の異界であろう。
江戸っ子の氏神神田明神のご祭神である平将門の首を祭っている鎮魂の碑である。超一流商社の本社ビルの間近にあるのだ。
 キレイに掃き清められているばかりか、不思議なことに首塚には花が絶えないのである。ドライなビジネス街の住人も将門さまを畏れいているようだ。

 江戸っ子が1000年ちかく守り続けてきた伝統だ。彼らはいまでも成田山新勝寺をお参りしないという。成田山平安時代の国家鎮守の寺社だからだという。
将門記』は軍記もののハシリとして関東在住の知識人が表わしたといわれている。軍記ものは起きた事件の情報をかなり丹念に集めなければならない。5W1Hを収集するだけでも相当の苦労がいるはずだ。ましてや時代は平安時代である。官の公的記録の他に頼れる資料などは微々たるものだったろう。おそらく当事者周辺の人々からの聞き書きが情報源であったとうが、『将門記』ほど精細な歴史資料を創り上げる労苦は並大抵のものではなかったろう。私的な歴史ものとしては国内で初めての資料であった。
 それとともにこの軍記物は、ユニークなのだ。
 謀反人の将門について、単に貶(おとし)めるだけではなくその行動にある程度の理解を示す立場なのだ。
 平安時代にそうした考え方や記述が可能なことがちょっとした驚きだ。
 つまりは、当時から将門に対してはその武勇や男気が庶民のみならず支配層の周辺にも畏敬の念を抱く人々がいた証拠なのであろう。
 将門塚に花を手向けるビジネスマンにも、それは息づいているのだろう。


 この近辺。三井物産本社のちかく。


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将門記 (物語の舞台を歩く)

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