雛祭の古形を考える

 3月3日桃の節句は女の子の無事の成長を祈る年間行事だ。
その行事の特色は「雛人形」である。
 では、その由来は何なのだろう?
実は、「ケガレ」を抜き去る儀式であったというのが公式見解である。

人形に罪穢(つみけがれ)を移し、海や川に流すという祓いの行事

 と「神社と神道」サイトで説明しているように、流しびなが原型であったというのが定説だ。
 人形は川や海に流される。つまるところ海の神の御下に送られのだが、それは再び迎えられるものでもあったのだろう。精霊として、あるいはマレビトの連れとして毎年還ってくる。


 折口信夫を引いておこう。

住吉明神の后にあはしまといふお方があつて、其が白血(シラチ)・長血(ナガチ)の病気におなりになつた。それで住吉明神が其をお嫌ひになり、住吉の社の門扉にのせて、海に流したのである。かうして、其板船は紀州の加太の淡島に漂ひついた。其を里人が祀つたのが、加太の淡島明神だといふのである。

 住吉明神が海の神であることはご存知のことと思う。淡島さまという女神がそこに通うわけである。

 千葉県の東金市では近年まで雛流しがあった。折口信夫によれば、こうだった。

此日を野遊びの日と言うて、少女達は岡に登り、川に向つて「来年もまたござらつしやれ、おなごり惜しや/\」と繰り返す

 なんとも言えない哀れさが漂う行事ではないだろうか?

 流しびなは現在も各地で行われていることは特筆されてもよい。

 それにつけても、雛人形の職人は関東に集中している。埼玉県のさいたま市岩槻区(旧岩槻市)が有名である。

「人形のまち岩槻」の人形協同組合なるものがある。urlも「http://www.doll.or.jp/」と正々堂々たるものだ。
 その由来は徳川三代将軍家光の東照宮造営に関わるとしている。東日本でそれが定着したのが興味深い。

 東金の「野遊びの日」が示唆するように、節句の人形遊びすらも少女たちの気散じだけではなく、民俗的な起源があるという。その原型はオシラサマであるとされる。


 これらの裏返しの信仰が人形に関わる怪談や都市伝説などにも流れ込んでいる。
 人形に込められた想いというものが大きく変形すれば、人形が人間の日常生活をかき乱すという恐れを喚起するのだ。粗末にされて捨てられた人形がいつまにか家に帰ってくるなどという怪談は流し雛に逆をたどっている。折口信夫は『田の祓へには、草人形を送つて、海・川へ流す。夏の祓へ祭りと、河童と草人形との間に、通じるものゝあるのは、尤である。』といって、河童との関係も指摘しているからには、恐ろしきものとの認識はかねてよりあった。

 以上は抜き書きでしかないが、日本の人形の伝統は他国とはかなり様相が異なる。

 欧米ではキリスト教により古代からの祭礼というものが、大きく人工化されてしまった。ワルプルギスの夜などのように悪霊、キリスト教にまつろわぬ精霊として文化の隅に押しこまれてしまったのだ。
 古代的な観念が生きている日本では、祓い清めのおごそかな儀礼が来たりて去りゆく精霊と結びつくことが、「ひな祭り」の人形にひそやかに形象化されている。
 国民的な古代性の残存というものが、どうやら自分の関心を唆るのである。