アリストテレスで決まった西洋哲学の軌道

 アリストテレスの敷いた鉄路、その上を近代の知が邁進している。
アリストテレスの『形而上学』に従えば、テオーリア、すなわち観照することが最善の人間的営為とされる。
 奴隷制を良しとした古代ギリシア人らしい、思い込みではないか!
 theoryの語源となるテオーリアとは、自ら動くことなく他を動かす第一原因に関する「知」、つまり人間も身体を動かすことなく、不動者たる根源に近づくのが至高であるという文句なしの大前提なのだ。
 そのくせ、アリストテレスの逍遥学派は歩きながら哲学を論じるだけでなく、実験を行うなど科学的活動を実践している。その実験は、「観察」が主であったらしいが。
 ウニのアリストテレスの提灯という器官は解剖を行った逍遥学派の名残りだ。

 さて、これは西洋哲学と近代科学を貫く価値観となる。
しかし、これほど実体と異なる前提もないのだ。西洋の知の伝統から、身体知なくして経験なし、そうした行為の重みづけが欠落したのだ。