アウシュビッツ、広島そして南京

 世界史に残る20世紀の愚行・蛮行として上述の三箇所の地名はそれぞれの愚かさの類型を人類の記憶に刻み込んだ。
 アウシュビッツと広島が東西の最大の蛮行であることは誰もが指摘する。アウシュビッツの非人間性は否定するものがいないが、広島・長崎の原爆投下のバンダリズムはあげつらうものが少ない。とくに日本人はだんまりを決め込んでいる。
 かつてはインドのパル判事が憤りを表明し、最近ではオリバー・ストーン監督が丁寧に映像的に解き明かしつつある。
 その背後にはレーシズムという亡霊があるのも事実だ。理性の仮面をかぶった差別が広島の引き金を引いた。

 南京虐殺は、これも別種の蛮行として忘れてはならない。
 日本人が礼譲と秩序を守るという神話は関東大震災後の朝鮮人虐殺という愚行で、すでに砕けている。我らの非合理性や原始的の本性はこの1923年の事件で示されていた。南京虐殺もそうした民族性の現れだったと思う。
 アウシュビッツと広島は理性的近代国家の非人間性を顕にし、南京は短期間に近代国家になりそこなった民族の原始性をむき出しした、恐るべき人類の残酷さの記憶なのだ。
 それらを令裡に比較解剖することこそが、いずれの事件にも関わった日本人の責務であろう。