日本人がしがみついているアニメシリーズ

 『クレヨンしんちゃん』『サザエさん』『ドラえもん』は原作者がいなくとも延々と引き伸ばされているアニメの代表だ。
ポケモン』も幼児向けに常態化している。
『ワンピース』も国民の朝の定番になりつつあるようだ。
 銀幕の世界でも『クレヨンしんちゃん』『ドラえもん』は毎年新作が出され、『ルパン』が時折加わる。
ガンダム』はどこまで続いていくのかわからないくらいである。
 例えば、次のような「分析」が可能であろう。
 『サザエさん』は喪失した「家庭の団欒」へのノスタルジアだと観ずる。それは小津安二郎が描いた時代の気分を持ち続けているかのようだ。
 『ルパン三世』は敗北感の共有だと思う。ルパン一味の試みは絶えざる失敗に終わり、それは日本の民話的な曖昧さに通じるものがある。
ガンダム』は、我が儘で未成熟なアムロが威勢のよい貴公子シャーを圧倒する噺でしかないように見えるが、その実は青少年のコミュニティの理念が語られている。

 さらには『こち亀』と『エヴァンゲリオン』が思い出したように甦る。
こち亀』は下町に生きるバンカラの典型として「忘れられた日本人」(宮本常一)的な存在である。他方、『エヴァンゲリオン』は吉本隆明的な表現として「太平洋戦争」を遊戯的に回顧する。
そして、よみがえりの典型は『宇宙戦艦ヤマト』であろうか。
 これは沖縄特攻に散華した鎮魂の儀礼が無意識のうちに反復しているのでしょうな。

 「なぜこうした幾つかのアニメが延々と繰り返されてているのか?」という問は、なにか国民心理に食い込んだ回答を用意せねばならぬほど熟考を要するであろう。