超心理学と子供の夢

 1897年のニューヨーク・サン新聞の伝説的な社説を読むと感動してしまう。
8歳の女の子が出した「サンタはいるの?」という問いかけに新聞記者がほんとうのオトナらしく答えている。

 出だしはこう。

「こんにちは、しんぶんのおじさん。
 わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
      ヴァージニア・オハンロン」

 ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。

 以下続くで、残りは「青空文庫」で読んでいただこう。
ここには、子どもと夢を分かちあえる成熟した理想的なオトナがいる。

 さて、超心理学を研究する人たちの立場はヴァージニアに似ているのではないか、という自問から始めよう。
 テレパシーや念動などが存在していると信じ、それを証明しようと涙ぐましい努力を続けるのが超心理学研究者だ。サン紙の論説委員同様に、超能力はあるんだよとそれを信じない懐疑的な学者たちに説くことはできるだろう。そう、世の中の大半の科学者は懐疑派なのだ。
 超能力を信じるヴァージニアに書いた社説はこうなるかな。

 ヴァージニア、それは学者の方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
 じつはね、ヴァージニア、超能力者もちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もし超能力がなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。 超能力がないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。

  なんとも説得力があるなあ。超心理学者たちの大半の研究より説得力があるだろう。
超心理学は最初のアプローチで道を踏み違えたのであろう。
 エドマンド・ガーニーというイギリスの心霊科学研究家がいる。初期の超心理学者といえる。彼は死後の人格の存在や例の実在を証明しようと日夜奔走した。彼の努力は、まことに涙ぐましいものがあった。
 最後は幽霊屋敷(という噂)のなかで生涯を終えている。この人などはサンタさんを信じるヴァージニアであったと言えるかもしれない。


ガーニーの報われぬ努力はこの本でも紹介されている。

幽霊を捕まえようとした科学者たち

幽霊を捕まえようとした科学者たち

ニューヨーク・サン新聞の伝説的な社説
Yes, Virginia, There is a Santa Claus