石川淳における江戸趣味とアナーキズム

 怪作という名称にふさわしいのが『至福千年』だ。しかし、これこそ石川淳の作品としてはあまり陽の当たらないステロイド系ロマンなのだ。
 幕末の江戸で飯綱遣いの神官が企てるキリシタン乞食革命。この神官こそは井伊掃部守の股肱、大久保の水稲荷の宮司加茂内記だ。それに対抗するのはプチブルの松師、松太夫松田優作の関係する?)。本所に持ち山がある。
 バタ臭い筋とはうらはらに江戸の風景は見事に描かれている。作者の好んだ隅田川の情景が眼に浮かぶようだ
 その界隈の交通が小舟であったこととか、今戸の俳諧師と小唄の師匠の生活やら両国の大橋のたもとの見世物の賑わいが物語りに溶け込む。力量がある作家だねえ。
 高田馬場は、水稲荷の富士塚が至福千年の革命の舞台となって波乱万丈の騒ぎが江戸八百八町に起きるである。

 解説するのは澁澤龍彦。彼がいうように本編の主人公は乞食や下人や犯罪者なのだ。こうして終末期の渾沌のさなかに江戸の時間は流れてゆく。
 石川淳が夢見たような狂騒(とデュルケームが呼んだ)が、淀んでいる日本には方法論的に導入されるとよいだろうに。

至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)

至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)

【ご参考】 高田馬場水稲荷神社は実在する。
ここに、日本最古の富士塚もあるし、それでも例祭で山開きを今なお続けているのだ。


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