金達寿氏は日本の中に埋もれた朝鮮の開拓者でありました。
彼の主著というべき『日本の中の朝鮮文化』シリーズは学問的にはいい加減なところも多いのですが、その勇み足が面白く、愛読書の一つです。
無理してでも新羅・高句麗・百済に地名や人名を結びつける有様は、愉快痛快です。
こうでもしなければ自分らの由来に無頓着な日本人は半島とのエニシには気づかないままでしたでしょう。
氏の所説がいかに無理があるかを書き抜きましょうか。
白髭はすべて新羅になるのはどうかなと感じる一方で、駒は高麗からきたのは、正しいと思うし、実際渡来人は馬を連れて関東に移り住んだようです。
弦巻や鶴巻は馬の放牧をした土地についたというのもいいでしょう。柳田国男も「まき=牧」と多摩を散歩しながらの随想に書き残しています。「つる」というのが不明ではありますけどね。
関東、北陸、中部、近畿、中国、九州と金氏は足しげく丹念に朝鮮文化の故地を探してまわった。その紀行と記録は『日本の中の朝鮮文化』にことごとく記されています。
ずい分と知らない寺社や地名が独自の論点で記録されているのは、従来の日本史を補足するものが多く、非常に関心をそそるのです。
秦氏や東漢氏などが渡来の民としてその足跡を地方に残していることを教えられました。関東地方にもです。
渡来人に金氏の経験が重ね合わされ、さらには望郷の念が投映されているかのようなのですねえ。
千年以上経過してしまった渡来人とその業績を朝鮮文化そのものと断ずる、その態度はしばしば自己中心で専横的なのですが、自信たっぷりな独断はかえって先鋭的かつ明快で、読み物として痛快でもあります。
とはいえ、日本の目立たぬ土地をくまなく歩いて、朝鮮文化の痕跡を探り当てたその執念と業績は忘れるべきではないでしょう。
それにしても彼が大嫌いだったはずの神社が古代半島人の息吹きを今に伝える貴重な場と認識するのはなんとも奇妙なものです。戦前・戦中の軍国主義のイヤな思いが神社にあったからです。それが足しげく古地を探索するうちに心情が変化したのでしょう。
半島では儒教が粋を極め、その純化の過程で古代的なものは忘失してゆくのであります。神社のような原始的な宗教の場は消え失せます。
三国時代に命からがら海をわたって来た渡来人は原始的な信仰を島国の神社に移植したのでしょう。
司馬遼太郎も彼に共感して何度も対談していますし、その対談集のシリーズは6冊にも何々とします(中公文庫で出ていますね)
生前の金氏のご自宅(今では別な人が住んでます) 彼の旧宅は調布ですが、その調布の布多天神社にも渡来人の痕跡を見出しています。布多天さんに親密感を持っていたのではないでしょうか。
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金氏は全国を歩いて記録を残していますが、やはり自分も住んでいる周辺の武蔵・相模・房総の巻が興味尽きないのです。
日本の中の朝鮮文化―相模・武蔵・上野・房総ほか (講談社学術文庫)
- 作者: 金達寿
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/06
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氏は1997年に瞑目す。合掌