虚しさを超克する芭蕉ワールド

   夜着は重し呉天に雪を見るあらん

 芭蕉の句であります。ボロボロで隙間だらけの廃屋同然の庵居にせんべい布団を重ね着して、
江戸は深川の寒い冬をしのいでいる俳人の風景です。この句は酷寒の一人居の寂しさをふみこえて中国の冬の旅人に自分を重ねているようであります。

   櫓声波を打って腸氷る夜や涙

 これも深川芭蕉庵で読んだ句とされてます。
隅田川を渡る手漕船の音に耳を澄ましながらも、はらわたの奥まで染みこむ寒さをひたすら耐える中年男性の姿があります。ダンボール箱で寒さに耐える路上の人びととそれほど差はない住居環境です。

 俳人は「乞食の翁」を自称しています。金や食物を門人たちからめぐんでもらう、その自己認識は、無職の寄宿人に近しいものであります。
 この底辺感覚は多くの現代人にも切実かつ、ありふれたなものになっているでしょう。それは取りも直さず、我らが芭蕉ワールドに没入する機縁でもあるのです。

 底辺感覚を芸術的諦観によって超えいでると、その先には枯山水と化した侘び寂びワールドが貴君を迎えてくれるはずであります。
 静寂と審美が融け合う東洋的な境地であると人は言います。
 その典型的な句はこれでしょう。

   冬の日や馬上に氷る影法師

 すっかり冷え込んだ芭蕉翁は自分を影法師と見放して、脱自的な境遇を示しているかのようです。
 凍えて弱リ切っていたとしても、それを傍らの影法師に投映して、弱音の呻きにはしないのであります。弱音を吐いているのは影法師の方で、俳人はそれを客観視しています。自己憐憫と無縁な突き放しが俳句、肺腑から衝いて湧き出る。そうした意識が俳人自身を救う、いや、俳人にいっそう高い精神性をもたらすのでしょう。

 これが「野ざらし」、つまり、野垂れ死にを可とする俳諧精神なのであります。生活苦がここまで昇華できれば、おそらくストレスなどを超越できるのでありましょう。芭蕉翁が日々直面していた苦労に比較すれば、現代人が不平をいうこと、節電で蒸し暑いだの、足先が冷え込むだのは、ワガママでしかないのでありましょう。俳諧師は無職同様でしたし、無産階級でした。生活保護世帯よりマシな生活かどうかも怪しいのであります。けれども言葉の芸だけで生き延びたし、充足する境涯に到達していたようであります。

野ざらし紀行」にある次の句を異国の哲学者ハイデガーは賞賛したといいます。

道の辺の木槿は馬に喰われけり

 これのどこが存在論の深い探求者に響いたのか、憶測をたくましくしてみます。
木槿の花が主題ではなく、花がポッカリと抜け落ちたことが主題です。
 馬に喰われて空虚が生まれた、その不在を歌うというのは、通常の詩人にはありえないことでしょう。なんにも無いその花、突然存在がかき消すように失われた生命のあり方を抉り出したことにハイデガーは感銘を受けたのでしょう。
 俳人の新鮮な芸術感覚が異国の人の共鳴をよんだのです。

 その一方で、俳諧師たちは新たな芸術的な境地を求めて苦吟するという、別な克己精励が生じもするのでありましょう。
 それはそれであります。
 そうした芸術のための苦吟ではなく、ある種の俳句のように、自分を突き放し大地のなかの点景と見なすことは、東洋的な健全さがありはしませんか?
 寺田寅彦歌人に自殺が多く、俳人には少ないと物理学者らしい観察をしております。自殺予防としての俳諧というのは検討するに値するでしょうねえ。
 俳人の野ざらし志向と脱自化は、健やかな諦観を育んでくれるのでありましょう。

  ざらしを心に風のしむ身かな

 人間ここまで己を放擲すればほとんど聖人といえます。芭蕉の芸術は日本人は多くのことを汲み出せる深い源泉なのでありましょう。


【参考】主にこの本の第一章を参考にしました。

芭蕉の世界 (講談社学術文庫)

芭蕉の世界 (講談社学術文庫)


 隅田川芭蕉庵跡を訪ねるのもいい気晴らしになります。河岸は整備されて遊歩道になっています。遊覧船に乗るのも一興かと。


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