妄想的進化論 継ぐのは誰か?

 小松左京の代表作『継ぐのは誰か』のテーマは人類が滅んだ後、その座を継承する種はどこにいるかについてであった。
 実際問題、人類が首座を他の種に明け渡す可能性は考えておいてもいい時期であろう!?
このまま自然環境が荒らされるままにしておけば、霊長類はおろか、哺乳類も、いや脊椎動物すら生き残れる可能性がなくなる。その結果、昆虫が首位を奪還するかもしれない。
 20世紀の生物哲学者ベルクソンは、社会的昆虫である蜂や蟻が、人類とならぶ進化の頂点にあると評していたくらいだ。
もちろん、それが望ましくないので、早めに退位するのがいいと主張するのは早計であろう。
 しかし、一つならず複数面白い発見が、哺乳類でなされてつつある。
シンボルを操るチンプ、道具を使うイルカ、温泉に浸かるサルなどの報告である。これが以前からの習性でなく、最近の傾向であったとしたら?

 ある進化論者はかつて主張していた。
「人類がいなくなると早々にサルたちは木から降りて、道具と言語を使い始めだすであろう」
進化圧がサルたちを原始的状態に押し込んでいるのである。人類という圧力がなくなるとサルたちは人類の占めているニッチを目指して変異をはじめるというわけであろう。

 妄想をたくましくすれば、最近になって観察されるサルやイルカは予行演習をし始めているのではあるまいか?

継ぐのは誰か? (ハルキ文庫)

継ぐのは誰か? (ハルキ文庫)