入歯の日本近代文学

 文学的な観点で近代日本での「入歯」の登場頻度と傾向を探ってみた。大体において歯についての話題は近代日本の文学者たちは触れたがらなかったようだ。
 夏目漱石は自分の入歯については語った形跡がない。『吾輩は猫である』では「吸い物の椎茸をかみ切った拍子にその前歯の一本が椎茸の茎の抵抗に負け」た逸話がある。
 その弟子筋の寺田寅彦になると克明に歯痛の随筆を残している。
 『自由画稿』において寺田寅彦は感慨深く語る。

自分も、親譲りというのか、子供の時分から歯性が悪くてむし歯の痛みに苦しめられつづけて来た。

 寅彦の父親は「歯科医術のまだ幼稚な明治十年代」に総入れ歯をして苦しんだという。まだ西洋医学が入りたてで相当苦痛を伴う施術だったとある。寅彦の体験が面白のは西洋留学でドイツ人に歯の治療を受けていることであろう。


 ほぼ同時代になるが島崎藤村はその歴史小説『夜明け前』の末尾で入歯に言及した。
 御維新も終わり明治になってからの親族の入歯の治療であるから、寅彦の父と同じくらいであるかもしれない。「半蔵」とは主人公の名である。

三男の森夫と四男の和助が東京で撮った写真は、時をおいて、二枚ばかり半蔵の手にはいったこともある。遠く都会へ修業に出してやった子供たちのこととて、それを見た時は家じゅう大騒ぎした。一枚は正己が例の山林事件で上京のおりに、弟たちと一緒に撮って携え帰ったもの。ちょうど正己の養父寿平次も入れ歯の治療に同行したという時で、その写真には長いまばらな髯をはやした寿平次が妻籠の郵便局長らしく中央に腰掛けて写っている。

 大正時代に男盛りとなった芥川龍之介はその朋友を語った『剛才人と柔才人と』で小島政二郎を描写している。

小島君も和漢東西に通じた読書家です。これは小島君の小説よりも寧ろ小島君のお伽噺に看取出来ることゝ思います。最後にどちらも好い体で(これは僕が病中故、特にそう思うのかも知れず。)長命の相を具えています。いずれは御両人とも年をとると、佐佐木君は頤に髯をはやし、小島君は総入れ歯をし、「どうも当節の青年は」などと話し合うことだろうと思います。そんな事を考えると、不愉快に日を暮らしながらも、ちょっと明るい心もちになります。

 この時代には総入れ歯というのはいい大人のシンボルになってきた感がある。

 時代は下る。芸人であり詳細な日記を残した古川ロッパの『古川ロッパ昭和日記』の昭和9年と昭和14年にも入歯が登場する。彼は57歳まで生きた。

まず、三十歳と若い頃の昭和9年の入歯記録から。

六月十二日(火曜)
 まるで今日は入りが悪い。つく/″\ダレてることを感じる。....前入歯がグラ/″\して、つひにとれた。明日寺木行きだ。

 そして、35歳になったロッパの入歯入れ替え。すぐにマカロニとカツを食しているのは、なかなかですな。

十一月十日(金曜)
 十一時半に起きる――よくも寝るものかな。清と遊ぶことにて、半日くらしけり。四時に家を出て、寺木歯科へ行く。右の奥歯と前の入歯をすっかりやり直して呉れる由。銀座へ出て、エスキーモで食事、マカロニとカツランチ。

 岡本綺堂の『はなしの話』でもって「入歯」文学濃度の頂点に到達となる。銭形平次捕物控で有名な劇作家の昭和12年の作品である。我らの生活への義歯の浸透を物語る再考の掌編であろう。
 目を引くのは「柘植の木」の義歯の存在であろう。

私の母は歯が丈夫で、七十七歳で世を終るまで一枚も欠損せず、硬い煎餅でも何でもバリバリと齧った。それと反対に、父は歯が悪かった。ややもすれば歯痛に苦められて、上下に幾枚の義歯を嵌め込んでいた。その義歯は柘植の木で作られていたように記憶している。私は父の系統をひいて、子供の時から齲歯の患者であった。
 思えば六十余年の間、私はむし歯のために如何ばかり苦められたかわからない。むし歯は自然に抜けたのもあり、医師の手によって抜かれたのもあり、年々に脱落して、現在あます所は上歯二枚と下歯六枚、他はことごとく入歯である。その上歯二枚が一度に抜けたのであるから、上頤は完全に歯なしとなって、総入歯のほかはない。


 最後に、佐藤垢石から入歯を引いておく。佐藤は釣りジャーナリストであり、明治21年から昭和31年までを生きた通人である。『泡盛物語』からの引用だ。これは昭和だろうが金歯の総入れ歯が話題になっている。

「おい新米、土管のなかからこんなものがでた」
 こういって、あば辰は大きな掌を開いてみせた。私は、その掌を覗いた。掌の上に、金の総入歯がぴかぴか光っている。あば辰と樺太は、私を新米、新米と呼んでいた。
 この総入歯は、よほど贅沢の人が作ったものと見えて、ふんだんに純金が使ってある。全部で、三、四匁は使用してあるかも知れない。当時、純金は一匁三円五十銭程度であったから、どんなに安く見積もっても、この総入歯は十円以上の価値はあろう。


 金歯の文学誌というのも興味ある主題ではあるが、悪趣味な散策もココらへんにしておく。将来的にヒマとなった暁には『義歯和人伝』をモノすることを約しておこう。

本題とはやや異とする日本の歯科史については下記の本がある。

歯科医学史の顔

歯科医学史の顔