小沢昭一の芸能論のまとめ

 小沢昭一といえば、かつての中年御三家であり、芸能研究家でもあった。昭和以来、途絶えた猿回しを復活させたり、社会の片隅にある芸人を丹念に取材したルポは有名であろう。
 その講演は独自なものがあった。芸能の本質についての彼のご高説をメモる。

芸能の起源:お祝いをする。言祝ぎが始まりである。誰しも豊作豊穣を祝言してもらえれば喜ぶ。人の喜ぶことをするのが芸能のきっかけである。
 その余興というものがあったのだが、それが発達して言祝ぎが忘れ去られていった。 余興が芸能となったというのだ。

芸能の衰亡と興隆:社会の変わり目で起きる。新興階級が新しい芸能を拾い上げる。古いものは新興階級から敬遠される。きまって素人芸がその大元になる。阿国歌舞伎がいい例だ。

 芸能の歴史的記録としては、『万葉集』のほかいびとの歌は門芸の始まりを示しているのであろう。2つほど伝わっているが、そのうちの一つには蟹の嘆きを面白おかしく語る身振り手振りを使った踊りがありそうだ。これは滑稽味があったに違いない。古代人のおどけぶりを知る格好の素材だ。

   押し照るや 難波の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居る
   葦蟹を おほきみ召すと 何せむに  吾を召すらめや
   明らけく 吾は知ることを 歌人と 我を召すらめや
   笛吹きと  我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや
   かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り
   置かねども 置勿(おきな)に至り つかねども 都久野に至り
   東の 中の御門ゆ 参り来て 命受くれば
   馬にこそ 絆(ふもだし)掛くもの 牛にこそ 鼻縄はくれ
   あしひきの この片山の 百楡(もむにれ)を 五百枝剥き垂り
   天照るや 日の日(け)に干し さひづるや 柄臼に舂き
   庭に立つ 磑子(すりうす)に舂き 押し照るや 難波の小江の
   初垂を 辛く垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶を
   今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗り給ひ
   もちはやすも もちはやすも

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