海民と山民、それに平地民

 地域社会が貧しく、農耕だけに依存していたとするのは、古代や中世を考えると正しくはない。江戸時代の貧農史観も過ちであるとするのは、網野善彦の証明したことだろう。
 遠く大陸系の知識人が「山島」と日本列島を表現したことを思い合わせると、頷ける。山と海に挟まれた狭い土地、平野といってもほとんど湿地帯で水田などは申し訳程度にあるだけであったのが、古代から江戸時代初期までの有り様だった。
 つまり、農耕は生活を支えてはいるが、主力産業であったわけではない。むしろ、漁業と海運との連携で、古代から近代まで日本列島の住人は生き延びてきた。
 九州などではコメは朝鮮半島に依拠していたのではないだろうか?
弥生時代以降も稲作は副業であったと考えてみたらいい。
そうすると縄文人vs弥生人などという二項対立はあまり意味を成さなくなる。
 海民と山民と農耕を営む平地民という三通りの暮らしぶりがあったとすべきなのだろう。しかも、これらの三種類は相互に依存しあっていた。
 船は木材が必要であり、塩はどのような食にも欠かせない、コメがなければ酒もできない。
 これからは、海と山と平野の恵みを交換する文化が列島を支えていたと考えておくことにしよう。



貧農史観を見直す (講談社現代新書)

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山の民・川の民―日本中世の生活と信仰 (平凡社選書)

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