特攻隊の心情と浄瑠璃

 『永遠の0』で描かれた特攻隊の悲劇は『菅原伝授手習鑑』の四段目「寺子屋の段」の有名な
エピソードと共通したものがある。
 『菅原伝授手習鑑』では「女房悦べ、悴はお役に立ったぞ」とわが子の身代わりを松王が女房に語るセリフがある。
 敵に追われる主人の子どもの身代わりに息子の首を差し出したのである。

 このセリフを巡っては1952年にフランス文学者と国文学者の論争があった。
 前者はわが子を殺して身代わりとする非人間性を批判する。国文学者は主人のために忠義を尽くす松王の悲哀・苦悩に人びとの共感が集まったと応じた。

 この論争の図式はそのまま神風特攻隊にも当てはまる。国体・民族のために身を捧げさせる非人間性と一身を顧みず敵に自爆攻撃をかける忠誠心と本人の苦衷。
 両方とも真実だろう。
 言うなれば、浄瑠璃のなかにすでに特攻隊の苦衷と悲劇は胚胎していたのだ。近代的自我の持ち主が捧げた大いなる自己犠牲は、前近代的なルーツをもっていたことが浄瑠璃という拡大鏡を通すことで理解できるようになる。