時宗の総本山である遊行寺に詣でた。
場所は神奈川県藤沢にある。藤沢駅から徒歩で行ける場所である。
鎌倉仏教の一つ、時宗の総本山であるからには、さぞかし立派な参道と賑わいが待ち構えていると期待すると、それは空振りになる。
参道には軒端を連ねた商店街どころか、土産物店や食堂は一軒もない。観光客も参拝客もスカスカ状態とまではいかぬけど、チラリホラリだ。
石畳はボロボロであり、埃っぽい。その境内では「福祉まつり」フリマと屋台とステージ演奏で喧騒が渦巻いている。
かなりのギャップだ。かの時宗の総本山なのにねえ。
今回の目的は二つ。
一つ、宝物館での『一遍聖絵』を鑑賞すること。それは達成できただろうか?
50%は出来た。
後世の模造品を展示していたのだ。それでも一遍の「南無阿弥陀仏」の真蹟を観れたのは記憶にとどめておく価値がある。風格と優美さに満ちた筆跡である。
二つ、小栗照手の墓碑を探し当てること。それは100%だ。
先ずは、照手姫のだ。ちんまりといじらしい造りだ。
そして小栗判官と10勇士。
ここで思うのは、大阪は四天王寺に至る餓鬼の道だ。小栗判官は冥土から地上に帰還できたが、身は餓鬼となる。救いは四天王寺にあった。恋人の照手姫も試練が待つが、それはともかく、藤沢と大阪を結ぶ伝説がここにある。折口信夫の餓鬼阿弥蘇生譚でいう人に非ざる存在、社会の最下層に貴種が落ちぶれて再生する奇跡の語りが藤沢と四天王寺を結んでいるのだ。
柳田翁の探求した十三塚が関連するが、それはおいてゆこう。
ある種の他力本願の極限としての一遍の教えは、権力と癒着することもなく、大衆に媚びることもなく、淡々と信を貫いている。まことに、さらりとした教えだ。南無阿弥陀仏と称号を唱えれば浄土に入れる。それしか無い時宗はさらりさらりと固執がない信仰の道を今に残した。
それが今日の日の遊行寺の姿なのかもしれない。
中世人の心性を探るドイツ文学者の隠れ名著。ひたすら日本的なものへの求道を晩年に行う。この説経節への論考もその一環だ。第二編の「小栗判官」が扱われている。
- 作者: 川村二郎
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