中東紛争地域にゆるキャラ

 極東の島国の我らからすると中東の紛争地域における精神状態は想像を絶するものがあるだろう。イスラエルパレスチナの緊張状態は尖閣諸島をめぐる日中間のそれより、ウンゾウ倍も高いであろうし、係争地には双方の住民がいるだけに戦闘は、即座に人命に係る事態となる。
 どうみても虐げられし弱者であるパレスチナに同情しがちであるが、イスラエルの焦りも薄っすらと理解できないこともない。
 たかだか500万人のイスラエル人はその何倍もの敵対民族に囲まれていて、四方から虎視眈々と侵入する機会、復讐の時期を狙っているのだ。
 しかも人口成長率は敵が勝るので、長期的には相手が勝つ可能性が高い。そういう状況で何をするかといえば、予防措置としての殺戮となろう。
 こうした精神状態に、くまモンひこにゃんが受け入れられる可能性は絶無であろうことは、ほぼその通りであろう。
 それでも想像してみたい。
 攻撃的な組織にゆるキャラを、とりわけモサドセントくん、ヒスポラに落花生人、ハマスひこにゃんをシンボルにするとだいぶ戦闘意欲が薄れるのではなかろうか。それ以前にイスラエルパレスチナの大人にはソッポを向かれるだろうことは白昼の真実だろう。
 百歩譲って、子どもには、ゆるキャラがアクセプタブルであろうと。砲声の途切れることのない時間のなかで、間の抜けたキャラの世界に子どもなら入り込めるであろう。

 日本のJKやJSがカバンにキティちゃんなど無数のマスコットをぶら下げているのを見るにつけ、何故なんだろう?と思わずには居られない。
 カワイイから身にまといつけるという単純な行為の背景に何があるのだろうか。思うに、親密さを感じるキャラで共同幻想を実世界に持ち込み、世間というざらついたリアリティに対処するための一種の護符なのであろう。
 守りの様式としてのキャラは実世界の邪悪さからの防護壁なのだろう。
 そう考えると中東紛争地域の子どもたちにゆるキャラをという行為は無駄ではないような気がしてくる。

革命の季節 パレスチナの戦場から

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パレスチナ:動乱の100年 (「知の再発見」双書)

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