敗北主義的気質のヤマトピープル

 ウィーダの『フランダースの犬』が日本では大人も子供も知らない人が珍しいのに対して、欧米ではほとんど知られていない...というのは有名な話である。
 わがヤマトンチュはどうやら悲しいお話、アンハッピーエンドが殊の外お気に召す気質なのだ。体質といってもいいくらいだ。
これを「お目々ウルルン」大好きtemperと呼ぼう。
 パトラッシュのお話以外になにがあるだろうか。まずは人麻呂の歌、歴代の和歌集、『竹取物語』、『平家物語』、『梁塵秘抄』、『義経記』、『太平記』、近松の世話物などがあるし、和歌や俳句は無常観と切っても切れない。

     とんぼつり今日はどこまでいったやら     加賀千代女

 千代女が亡くした児のふつつかな幻想を抱く哀切のこもった句である。これを聞くだけで子をなくした親は「お目々ウルルン」になるくらいである。
 それに、最近まで「憂国」を唱えて腹切りする小説家がいたんだし。なかなか古い情念と縁が切れない民族なんですね。

 説話世界も同様であろう。貴種流離譚や異種婚姻譚など伝承にも悲しいエモーションが流れる。
 だいたい、演歌や長唄浄瑠璃など芸能の基調も別離や恨みや無常である。美空ひばりなどは「憂世」系歌手の代表選手である。。
 浮世絵の浮世とは「憂世」であり、江戸時代の庶民もそうした気分に浸るのを好んだようだ。
憂さ晴らしという。うさ=憂さを晴らすのは、欝な芸能でなのだ。対症療法なのかな

 わが国歌にしてからが、元気付けや戦闘性とは無縁のしめやかな曲で、珍しいタイプではないか。
 革命は短調に始まると故五十嵐教授は暗殺される前にのたわまった。ヤマトンチュはいつでも短調な気分なので、革命などする気にならないのであろう。

 フランクの交響曲ニ短調を聴いてうさを紛らわせるとしよう。


【参考文献】憂さの根源は「死」への眼差しだと論証する稀有な書籍