ウェルズと寅彦 イデアを求めてさすらう

 イギリスの作家・思想家のH.G.ウェルズの印象深い短編で彼にしては叙情的なストーリーのものがある。
『堀についたドア』である。
 ある功成名を遂げた政治家が友人に幼いころ、迷い込んだ不思議なアルカディア=理想世界の思い出を語る。それが堀についたドアの向こう側にあったのだ。その堀の向こうには優しく美しい「空間」があった。その後何度かそのドアを見かけたが、瑣事に妨げられて入ることができなかったと語る政治家...。その後、起きたことは、この掌編を読んでいただくほうがいいだろう。
 一瞬垣間見た「イデア」の世界にいつまでも憧憬をいだいてさ迷い続けるというのは、芸術的素質をもつ男性のサガであると診立てたのであるが、どうであろうか?

 わが寺田寅彦にも『青衣童女像』がある。神保町の露店である夜に見かけた西洋少女が聖母を見守る半身像。それがまぶたに焼き付いた寅彦は、露店をめぐるたびに知らず知らずその童女像を探し求める自分に気づくというささいな話である。

 僅かな体験が心に刻み込まれて、その後の半生を費消するというのはなんともヒステリシス効果が大きいことよ、と嘆きたくなるのだけど、どうもそれは男どもにはかなり共通な本性であると思いなしたほうがよいであろう。
 なぜなら、芸術・文学作品にはダンテのベアトリーチェゲーテのロッテのようなエピソードが、ゴロタ石のように転がっていそうだからである。