古代朝鮮の三国時代、高句麗・新羅・百済の三国鼎立時代のことだが、その仏教の有り様をまとめてみる。飛鳥時代の日本に仏教伝来を担ったのは古代朝鮮の人びとだったし、新羅はとりわけても優れた仏教思想への貢献をなしているからでもある。
高句麗は372年にもっとも早く仏教が伝わった。前秦の苻健から高句麗の小獣林王に伝えられた。
あたかも中国大陸では後漢以降の南北朝時代。前秦とは北朝になる。
当時の中国からの文化伝来は冊封体制下にあって中華の天子から下賜される形態をとる。文化を教示
してやるぞという感じかな。中央の王から野蛮な周辺国の王へ。
かくて、南朝の仏教は百済に下賜されることになります。百済の首都の北には石窟寺院が残り、磨崖仏が残されている。瑞山の磨崖仏です。三尊形式で、釈迦と真ん中に観音と弥勒が脇侍となってます。
百済への仏教伝来の様子は文献的にはあまり記載が残存していないようである。
でも武寧王陵は6世紀の遺跡でありますが、仏教的世界観の象徴である蓮華模樣に飾られた壮麗な王陵です。この武寧王の子どもの聖明王から推古天皇時代の日本に仏教が渡ってきました。
最後の新羅の仏教は、高句麗から伝来してます。初期の新羅は小国で日本海側にありました。
直接、中華の文化と接していなかったわけです。五世紀後半だと考えられています。
新羅への伝来の仕方は王から王への下賜ではなく、CtoCつまりは、民間レベル貴族レベルだったようです。なので仏教排撃が起きています。
しかしながら、もっとも深く仏教が根付いたのは新羅においてなのですな。研究者は新羅の仏教遺跡を石造が多いとしてます。でも、自分は残存したのがたまたま石造であり、木造の伽藍は多く消失しただけだと思いますね。
その技術が日本の法隆寺に残っているのでしょう。日本の古代寺はけっこう消失してます。
前述のとおり、百済の仏教の興隆の有り様は文献がありません。でも、伽藍の遺跡は近年、発掘調査が進んでます。仏舎利をもった壮大な寺院建築があったことが判明してます。
新羅の弥勒信仰は特異な歴史現象をもたらしました。花郎(ファラン)であります。いわゆる戦士団的男子結社ですかね。弥勒信仰をベースに生まれました。
それと忘れてはならないのが、弥勒の半跏思惟像であります。これは半島に33体確認されてますが、日帝時代にかなり商人により骨董品扱いされて伝承伝統と切り離されたそうです。日本の商人が「大活躍」したせいだと言われてます。まあ、日本でも明治期の廃仏毀釈で多かれ少なかれ同じことが起きてますから、旧来の伝統が著しく軽視される不幸な時代は共通なんでしょうな。
それにしても、これだけの仏教の遺産は朱子学を奉じる儒学者や官僚によって、その価値を批判され
その活力を奪われたいく。その挙句、朝鮮の歴史・文化史から姿を消してしまうのだ。
朱子学の純血主義による国家運営という、一種の理想の劇場を半島で実現してしまうのだ。仏教排撃は朝鮮民族の大いなる過誤の一つだと自分には思える。
朝鮮における弥勒像の残存リスト
【参考】
在日である著者は第三者視点で「儒教国家」の長短を描き尽くした。
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古代朝鮮における弥勒信仰に詳しい。文庫なのがいい。
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東アジア的視野からの伝来の流れを詳述。この碩学ももう遷化されて久しい。
- 作者: 鎌田茂雄
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