列島の貝文化

縄文人は貝が異常に好きだったらしく、それが各地の貝塚になった。関東地方では巨大な貝塚があちらこちらにある。千葉県千葉市は加曾利貝塚という世界的規模の貝塚がある。史跡にも指定されていて、貝塚の断面を展示する施設があるのがユニークだ。
 なんと東京湾周辺は2500もの貝塚の宝庫である。なんといっても日本には6000種もの貝類が生息するのだ。

 貝塚には食べがらとしての貝や鳥獣の骨にまじって人骨も出土するのが、縄文的文化というものか。
 縄文人は貝を装飾具にした。とくに貝殻の腕輪は多く発掘されている。
 弥生時代になる。『魏志倭人伝』には海士が描かれている。アワビを採取していたらしい。アワビは東日本産が旨いと魯山人は言う。縄文以来の1万年以上にわたり、貝と昆布と鰹ダシが民族の味覚を養ってきている。
 そもそも、「具」は食材を意味した。中国由来のこの漢字は古代の感覚を伝える。貝と具のつくりがどうしてこうも近しいのか?

 時代はくだり、現代の貝文化である。どちらかというと日陰の観光場所とみやげとして存続している。
佐賀には「貝の創作館」なるものがある。貝殻で様々なイミテーションを造作する。高知県の「西沢鮮魚店」も同工異曲である。いずれも貝の造形美に魅せられてアーティストに変身した普通の人々の風変わりな営みである。
 そして、愛知県の知多半島の「貝殻公園」はその造形と執念に驚かされる。同じ県の蒲郡のファンタジー館も最近リニューアルオープンした。
 神奈川県の真鶴には篤志家の貝類コレクションがあった。それをもとに最近オープンしたのが真鶴町立遠藤貝類博物館である。

 その同じ相模湾に面した神奈川県江ノ島では、細々と貝殻細工が続いていると報告するのは川添裕である。江ノ島の参道に面した土産物屋では連綿とその細工物が売られている。ほとんど誰も見向きもしないが、これは明治時代にモースが感嘆した民具の子孫なのではなかろうか?

 日本の考古学は大森貝塚からスタートしたというのも因縁を感じる。ひょっとして、現代文明を発掘した未来の考古学者は貝殻細工の遺跡を、再び見つけ出すかもしれない。


川添氏の「貝のネットワーク」論が刺激的

見世物探偵が行く

見世物探偵が行く



 旧蒲郡ファンタジー館が竹島ファンタジー館となったのだ。異世界ワンダーランドには行かねばソンソンである。


 加曾利貝塚と博物館

 茨城県陸平貝塚は明治初期に東京帝国大学により詳細なレポートが出された。海外に向けての最初の自力による貝塚レポートの一つだろう。

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