どんな一流のコンサルタントでも哲学者にはなれないだろう。そもそもこの二つの専門家には共通性は、からきっしないのではないか?
コンサルタントは実利を追求する。それも、自らは体を動かさないでクライアントの実利向上を介して実利を追求する。
よくWin-Winなどといったりするが、利他行動では全然ない。自分の言動の真実性を豪も疑わないし、その虚妄性を問うたりはしない。
コンサルタントの問題提起は必ず、答えがある。ビジネス上の問題はたいがい、お金をコンサルタントにもっと払えば解決できるというのが業界の慣行だ。
その満々たる自信の根拠に関する素朴な疑問などは、致命的な、死に至る病だったりする。
そのわりにはメンタルに落ち込むコンサルタントもいないことはないだろう。
哲学者は実利追求と無縁としていいだろう。かつて、
タレスが金もうけに走ったり、ショーペンハウエルが訴訟で財産を確保したりする例がないことはないが、稀有だ。
誰の実利も関係のない、現実世界の成立ちについて、誰にも答えられない問題提起に余念がない。彼らのモチベーションは誰がもっとも根源的な問いかけを提起できるかにあるような気がしてならない。
哲学者といえども、たまには現実世界の問題と付き合うこともある。その場合、他の専門家との折り合いをつけたり、市民とのコミュニケーションを成立させるまでにとてつもない労力を必要とする。まあ、その費用をせびらないから許されているようだが。
メンタルにはめっぽう強い。その性質上、陰気で憂鬱なところが哲学者の気質だから、これ以上悪化することはない。自殺した哲学者もいないこともないのだが、稀有だ。現実との折り合いなんかから超越しているということも預かって力ある。
かくて、コンサル哲学者などという人種が出現したら、それこそ末世末法の世の中なのかもしれない。