同時代を生きた知の巨人、立花隆氏が地球上の生命圏から去られた。謹んで瞑目する。氏は唯一無二でありかけがえのない存在であったことは論をまたない。その喪失を惜しむことでは自分も人後に落ちない。
その立ち位置というのは、しかし、この半世紀の日本の精神性、理性の在り方の限界を象徴するものだったといえる。
明治後期から昭和前期における「知の巨人」との比較すれば、その在り方の限界についての例証となるだろう。
これらの人物は死後50から80年ほど経過している。だが、その存在は褪色するわけでなく、現代人にとって考えるヒントを与え続けている。それはおおむね異論なかろう。
立花隆氏は、どうだろうか? 死後半世紀後のことなど、誰にも語れぬという意見もあろう。しかし、氏の業績リストは「時代性」に色濃く染められている。
田中角栄、日本共産党、サル学、脳死、宇宙からの帰還、臨死、天皇と東大等々は分野をまたがり、時代を鮮烈に抉り出した力作だった。
けれどもその合理的による実証主義的な姿勢は、やはり近代科学とリベラリズムに依拠していたように思える。
その業績は時代の変遷に耐えうるかどうかという問いに対して、同時代の変数とイデオロギが多く含有されているため、褪色する可能性大と思われる。
そういう限界はあるが、氏が一時代を画した巨人であったことは、まぎれもない事実だと認める。それは絶対そうである。ましてや、彼の衣鉢を継ぐ人物がいない状況を鑑みて、痛惜の念はつのることを抑えるのは難しい。